看護実践のアポリア
目次
I 行為内省察が開示する地平一再帰的実践から唯一性の科学へ
II 人間科学としての看護の構築
看護を原理的に論じた貴重な書
やや変わった成り立ちの書物である。この翻訳書には「原本」に相当するものがない。出版社の「編集」と謳ってあるように、訳者と書肆の編集部との間の相談・合意があって、著者の書いた六篇ほどの論考を独自に集め、訳出したのが本書である。無論この企画を喜んだ著者自身の参加もあって、序文は本書全体の解説として、新たに書かれたが、この文章の公刊された原文は存在しないことになる。
内容という点でも、なかなか複雑で、斜め読みして大体のところが掴める、という類いの書物ではない。もともと、日本では、というよりは、世界的傾向でもあるのだろうが、一般に実践と理論との間には、埋め難い溝がある。特に看護という領域では、実践の手引き書は、書店店頭に益れているが、看護を原理的な側面から論じた書物は少なく、その双方の橋渡しに成功している書物はさらに少ない。本書は、その意味でも貴重な一灯を点じてくれた、と言ってよい。
理論と実題の乖離、これは著者のいるイギリスでも重要課題だった。問題は、かつて看護師の養成知識の受け渡しは、専門学校で、言わば徒弟的な構造のなかで行われてきたが、1980年代になって、その役割が大学に移管されるようになった、という制度的なところに淵源する。この変革は、看護師が医師と対等な立場に立つための必然的措置だったが、ここで看護の原理的、理論的な把握の矢如が露わになった。この事情は、日本でも全く変わらない。一部の看護大学では、ヒューマン・サービスという概念を基礎として、理論を組み立てようとする方向などが、試みられている。これは、国際的にも広がっていて、地道な蓄積はあるものの、目覚ましい成果には今のところ繋がっていない。 本書の著者は、かつてアメリカの異色の哲学者、実践教育哲学者、そしていわゆる企業イノヴェーションの教祖的な存在でもあったドナルド・ショーンの理論を手がかりに、論を進める。ショーンは日本では紹介される機会の比較的少ない人物だが、今年二月に、主著の一つが翻訳出版された。(「省察的 実践者の教育」)柳沢昌一・村田明子監訳、鳳書房)。
もともと理論と実践の乖離の源の一つは、理論が科学的な真理、言い換えれば普遍性に重きを置くのに反して、実践ではしばしば一対一の人間関係が問題になるところにある。そして、実践的な場面でものを言うのは、個人のなかに蓄積された、言語化され難い暗黙知である。ショーンは、そうした知識を暗黙知としてそれ以上の追及を諦めるのではなく、内省という行為を通じて、ある種の合理性を以て、利用可能にすることができると言う。著者は、「普遍的」ではなくとも、「共有可能」な、理論知の構築が可能だと主張するように見える。 もう少し、鳥瞰に言えば、理論と実践とが乖離していると見なされる事態は、トーマス・クーンがバラダイム論で述べた「異常科学」の段階であって、将来に新しいパラダイムが構築されることを予感させるのであり、まさにそれが本書の課題でもある、ということになる。 こうした立論には、科学哲学ばかりではなく、ハイデガーから、ドゥルーズやガダマーらポストモダンの哲学に至る諸論が下敷きにされており、その意味でもなかなか意欲的な著作である。こうした紹介の労をとってくれる書肆及び訳者に敬意を表したい。
書評再録【毎日新聞 2017】評・村上陽一郎(東京大学名誉教授・科学史)
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